CWOの前川が綴るコラム-現場からの「協働革新」 2021年10月19日

いなかっぺ大将 広島に帰る

いなかっぺ大将 広島に帰る

僕は昔からモノを捨てられない性格である。余ったネジやら部品ですら、いつか使えるかも知れないと思って大きさ別に整理してとってあったりするのだ。カミさんに言わせると、その「いつか」は絶対に訪れないらしいのだが……。

先日、自宅の本棚から僕が就職して最初にもらった色褪せた辞令を発見した。
昭和62年4月1日、東京勤務を命ず。基本給155,000円、住宅手当20,000円。

35年前、初めて東京に出て来たとき、会社の先輩や同期から「お前はマンガのいなかっぺ大将そのままじゃないか!」と言われ、 しばらくの間「おい、いなかっぺ大将」などと呼ばれていた。それ以来、今までとても沢山の人にお世話になり、可愛がられて、東京での生活を楽しく過ごしてくることができた。
そして東京で結婚し、東京で子供が二人生まれ、これからも当たり前のように東京で暮らしていくのだろうと思っていた。

しかし、子供の小学校入学直前に始まったコロナ禍の生活は2年間続き、とりあえず小学校には入学はしたものの実質なにもできない状況が続いている。仕事の面ではリモートワーク主体の働き方は、コロナが収束した後も不可逆な流れであると思われ、場所に囚われない仕事のやり方が定着してきた。さらに広島で一人暮らしをしている米寿を迎えた父親の状態も気がかりである。

そんなことを8月の初め頃に家庭内で話し合った結果、まさかまさか家族みんなで広島に帰るという決定がなされたのである。広島出身の僕は良いとしても、東京でしか暮らしたことがなく、これまで実家の恩恵を最大限に受けてきたカミさんが、二人の子供を連れてまったく未知の土地である広島に移住するなどという選択肢があろうはずもないと僕は思っていたので、カミさんが「広島に行ってもいいよ」と言ったのには心底驚いた。参考までに、僕のカミさんは決して旦那に黙って着いて行くようなタイプではなく、どちらかと言うとその真逆のタイプであることを付け加えおく必要がある。

そこから瓢箪から駒のように話がどんどん進み、8月下旬に子供の小学校の編入試験の結果が出たことで、それまでの迷いは一気に吹き飛び、怒涛の引っ越しが始まることとなる。そして9月14日に正式に広島市民となり、すでに子供は新しい小学校に毎日楽しそうに通っている。しかしあらためて考えてみると、僕たち家族にとって、この1ヵ月間がなんと非連続的な変化であったことか……。

そして今回もまたさまざまな人にお世話になったことを心から感謝しなければならない。
それにしても想定外であったのは父親の第一声である。家族で広島に帰ることを伝えたら父親は間違えなく喜んでくれるだろうと思っていたのだが、父親から発せられたのは意外にも「うーん、それは心配じゃのぉ」という言葉だった。「どうして?」と聞いてみると、要するに僕が広島に帰るということは会社をクビになって東京で生活できなくなったということだと思い込んでいるのである。親父にとって僕はいまだにまったく信用のない息子であるらしい。

僕が最初にもらった辞令は、その引っ越しの最中に本棚で発見したものである。

モノを捨てられない僕は読んだ本も捨てることができずにいたのだが、人生の大きな区切りである今回の引っ越しにおいては、いよいよすべての本を処分する覚悟を固め、ブックオフの宅配買取サービスを申し込んだ。
実際にすべての本を段ボール箱に詰め込んでみると、なんとその数30箱以上、一体狭いマンションのどこにこれだけの本が潜んでいたのかと思う。

買取価格は合計で14,212円也。

もはや値段を付けられないようなゴミ本を大量に引き取ってもらえた上に、お金を貰えたので少し儲かった気もしたが、35年の間に溜まったこれらの本が少なからず僕の人格形成に影響を与えたことを考えると、その価値は決して買い取ってもらった値段ではないのである。

渋谷から引っ越すことが決まってから、いつも子供と散歩していた代々木公園、原宿、表参道付近の光景がこれまでとは違って見えた。これまで当たり前であった日々を思い返して少し胸がキュンとなる。

はじめて子供が産まれて渋谷のマンションに連れて帰ってきたときのこと、2番目の子供が産まれたときに毎日娘を幼稚園まで送った坂道。時代と共に変化してゆく渋谷の街に、その時々の思い出が詰まっている。

夫婦共々子供の夜泣きで寝不足の状態が続き、カミさんに少しでも一人の時間を作ろうと(本当は僕がイライラした空気から逃れるために)娘を抱っこ紐で外に連れて出たものの、表参道のFENDIの前でベンチに腰掛けたまま二人して寝込んでしまい、知らないおばさんに「大丈夫?今は大変だけど、後は楽しいことばかりだから頑張って」と声を掛けられたことも、つい昨日の出来事のように思える。

僕にとっての「東京」は、厳しくも優しい街であった。 いなかっぺ大将のような僕にもたくさんの出会いを演出してくれ、35年前の自分が想像できなかったような経験と数えきれない素晴らしい思い出を与えてくれた。

代々木公園は、もうすぐ僕の大好きな秋の紅葉の時期を迎える。

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プロフィール
前川 賢治
株式会社ドリーム・アーツ 取締役 執行役員 兼 CWO(チーフ・ワォ・オフィサー) 前川 賢治(Kenji Maekawa)
  • 大型汎用コンピュータ向けソフトウェア製品の輸入商社である株式会社アシストにおいて、製品開発を担当。 1996年にドリーム・アーツ設立に参画。
  • 本コラムでは、バブル後の大不景気を経て企業体質も健全化に向かっている現在、より現場力を高めるために「人」の「協業」をいかに支援し、革新していくべきかを考えます。

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